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今年から、ゼミでチクセントミハイの『フロー体験入門』を輪読テキストとして使っているのですが、意外な所(つまり本題とは一見無関係に見えるような)で、色々教えられる所の多い本です。チクセントミハイという学者は、社会心理学という枠組みには収まりきらない、とても器の大きい本物の学者ですね。
で、今回取り上げるのは、「またか」という感じでクルマ・ネタですが、レースというジャンルが古今東西、とまではいかないかもしれないけれど、かなり普遍的に楽しまれているという記述です。映画「ベンハー」の戦車レースのシーンはあまりに有名ですが、ビザンツ帝国が終わりに近づいている時のコンスタンチノープルでも、「大規模な戦車レースが都市で開催され」、一番のドライバーは「裕福で有名になり」、「自動的に元老院議員に選ばれた」そうです。西欧では、本当に昔からレーシング・ドライバーの地位が高いのかもしれません。「F1=貴族の遊び」という伝統は、ひょっとしたらベンハーの時代から、ビザンツ帝国の時代を経て、連綿と受け継がれているのかもしれません。 さて、現代では、北極に居るイヌイットたちの間にも、「アザラシを狩り、クマを罠にかける興奮」の代わりに、「ドラッグレースを唯一の目的として何マイルもの道路を建設したコミュニティーがある」そうです。チクセントミハイは、これらをローマ時代の「パンとサーカス」のような、品のない受け身の娯楽として、ややネガティブに扱っていますが、この点に関しては、私はもちろん反対です。 まず、チクセントミハイ自身が他の箇所で指摘している通り、クルマの運転は、比較的多くの人がフローを体験できます。ということは、たとえば(日常的にほとんど体験していないであろう)野球やサッカーと違って、多くの人が実感を伴った追体験が可能なことを示しています。 次に、Howellの『密造酒からマディソン・アベニューへ--NASCAR WinstonCupの文化史』などが示すように、あの単純なオーバル・コースをグルグル廻るだけの単純な競技に見える、あのNASCARを楽しむには、実は様々なデータを統合して観察するという積極的な参与が、実は必要らしいのです。私も、この本を読むまで、あの単純なコースを走るレースの面白さが正直なところイマイチ分かりませんでしたが、逆に単純だからこそ、積極的に観るということもあるようです。 ともあれ、チクセントミハイという大学者が、その意図とは別に、私たちに教えてくれたのは、レースが、かなり普遍的に人々に楽しまれ、そして人々の精神状態--アメリカ先住民のナバホ族は、かつての儀式での豊かな体験を奪われている--を支えているという事実でした。
by evianetvian
| 2012-01-29 11:41
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