by evianetvian カテゴリ
全体 当カフェのご案内 映画・テレビ 男と女 音楽 カフェ・レストラン クルマ 建築・インテリア 仕事 時評 スポーツ・(不)健康 読書 北海道生活 旅行・留学生活 Profile Macintosh 海老庵先生 今日のベリーちゃん 以前の記事
2014年 10月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 more... 最新のトラックバック
ブックマーク
フォロー中のブログ
(旧)京都・哲学の道案内... Entrepreneur... 【フランス落書き帳】ht... La vie en rose? +++ A to Z... おべんとたべよ 北イタリアの風景 象と蠍と猿の飼育日誌<ブ... La Roma e` s... きままなクラウディア ビジネス・コミュニケーシ... The World Ac... テンロクコンパクトブログ RESULT blog 内澤旬子 空礫絵日記 ライフログ
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
昨日、古本屋にて、約半額で購入し、(メインの仕事を脇にやって)一気呵成に読んだ。結論から言うと、非常に面白かったし、主張もそれなりに納得ができる。しかし、著者の力量には敬意を払いながらも、あえて個人的な疑問点を挙げたい(著者に対する批判というより、他の社会学者に対する注文ということになるだろうか)。
(1)この本の趣旨は、タイトル通り、将来に対する(社会的・経済的)希望の格差が広まり、絶望した人たちが自棄になったりして、日本社会を不安定にさせるということである。基本的に、そういう傾向が現在あり、今後増大することは確実だと私も思っているが、その格差は、そんなに乗り越えられないような大きなものなのだろうか? たとえば、親が社会経済的に恵まれている子供は学習意欲が、そうでない子供より10%程度(以前は5%程度の差)高いといったデータが紹介されている。親の地位が、子供の学習意欲の差に影響を与えていることは確かに望ましいことではないが、子供の能力や運次第では十分に逆転可能な差ではないだろうか。要するに、諸外国などに比べて、そんなに絶望するほどの格差なのだろうか、というのが第一の疑問である。 (2)フリーターやパラサイト・シングルは、一様に全部ダメといった論調が気になった。「努力しても報われないという現実の自分の状況を忘れさせてくれるものが、理想の仕事、理想の相手という『夢』なのである」という言葉は、はっきり言って名言だと思う。 しかし、その日暮らし的なフリーターのような存在は、ほぼいつの時代、どこの地域にも(ex; アメリカのホーボー)、一定程度存在して、ある種のライフスタイルとか思潮のようなものを形成している。これを、たとえば国の財政上良くないと一蹴してしまうのは、いかがなものだろうか。 (3)ニューエコノミーでは、平均的な能力の人のやる気を低下させると著者は指摘する。日本の現状では、基本的に、これは正しいと思う。しかし、マネジメント次第では、「平均的能力の人」のやる気を引き出すことも不可能ではないし、そもそも、今「平均的」であっても、教育によって向上する可能性はある。 (4)ニューエコノミーに関して、ドラッカーやライシュの言説を、あまりに鵜呑みにしていないだろうか。私も、基本的傾向としては、彼らに賛同する点が多いが、もう少し実証的検討が必要だとも思っている。 (5)社会科学には、現状分析だけでなく、ある程度未来予測的な面もあると私は考えている。その点から言って、私は、十年以上前に、いわゆる「負け犬」たちが社会的・経済的に不良債権化することを指摘していた(その時は、女性たちの一部から批判を受けた)ので、本書の主張には新味がない気もする。 とは言うものの、社会の問題点を分析し、それに対して何らかの方策を提言できる、健全な社会学者が、日本にもいるのだということを実感できて嬉しい。 ※おススメ度=5(very good) 山田昌弘『希望格差社会--「負け組」の絶望感が日本を引き裂く』(筑摩書房、2004年)1900円
by evianetvian
| 2006-04-04 17:07
| 読書
|
ファン申請 |
||