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クルマが社会的害悪として存在することは明白だ。だから、一般論は、ここであえて書く必要性は感じない。
もはや、クルマの幸福な時代は終わった。今や、誰もがクルマを所有し運転できる。そして、それが問題だ。社会的マナーの悪い人間や、運転技術が非常に未熟な人間ですら、公道を我が物顔で運転できるのだ。 私の提案としては、ドライバーに対して、もっと制限があった方が良いと思う。現代のクルマは、かつて六十年代にはプロのレーサーが運転していたのと同じようなパワーを持っている。しかし、そんなモノを充分に巧く操作できる一般ドライバーは、本当は少ないのだ。 イタリアでは、若者(25歳以下位)は、一定の馬力を超えるクルマに乗ってはいけないことになっている。日本でも、この種の法律が作られてもやむを得ないと思う。そもそも、EQや運転技術の低い者に免許を与えるのはやめた方がよいと思っている。 環境問題や渋滞の問題などを考えると、都市中心部には、Park & Ride方式で、なるべく公共機関を利用すべきだとも思う。街中で、イライラしてまでクルマを運転する必然性を、私は感じない。 ミニバン・ブームなどというのも、環境問題、少子化問題が叫ばれている時代の流れに逆行していると思う。子供が一人か二人なのに、七人乗りのクルマがなぜ必要なのだろうか。「ふらつかないミニバン」が宣伝されているが、車高が高いのだから、セダンより「ふらつく」のは当たり前ではないのか。 <また続く>
by evianetvian
| 2006-10-11 00:41
| クルマ
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